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可能性
そうであったはずの自分、あるいはそうであったかもしれない可能性としての自分
について検証していくことと文章を書く事というのは基本的に似ていて、僕は時々
それについて考えてみる。
それで物語を書くということは、そうであったかもしれない可能性としての自分に
ついての記憶を掘り起こしていくことなんかと何か関係があるらしい。

記憶。

あるいは記憶を呼び起こす言葉と、言葉につられてやってくる可能性としての風景。

僕は時々、それについて考えてみる。

ある女性と話をしていて(彼女はとても美しい顔をしている)、僕は彼女の表情や
笑い方や時々ひどく深刻そうに黙りこむ一瞬の顔つきやらを見ながら、どこか
遠い場所で眺めた雨について思い出していた。
その雨について僕はなにか重要な可能性としての記憶があることを感じる。
でもそれは彼女にはまるで関係のないどこか別の場所で降り続けている
抽象的な雨にすぎない。

可能性。たまたまそうであったのか、あるいはいくつかの偶然が(それもせいぜい
2つ3つにすぎない)たまたま有機的につながって選ばせた選択肢なのか、
1つの可能性の飽和として僕は、いまここにいてこうして文章を書きながら
何か別の可能性について考えてみる。

どうせ書くのであれば、なにか自分すら完全に性質を変えてしまうようなもの。
文章にはそういう力があるはずで、僕はそれについて考え、雨について考え、
非現実的に美しい顔つきをしている若い女性と大して膨らみそうにないあいまいな
会話をつづけていた。

そうであったかもしれない、という仮定を過去へと進んでゆく霧の中の船の
ように心の中で確かめてみること。物語はそこから始まる。
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by waterkey | 2008-06-07 13:56 | 文章



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