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近頃、偶然に知り合った人の生まれ育った町が僕が大学時代に
下宿していた町と同じで、その町について話をしているうちに
居ても立っても居られないほど、そこを訪れたくなって、
実に6年ぶりに電車に揺られて、その町へ行ってきた。

知人も一年くらい里帰りをしていないということで、
僕らは東上線の池袋駅で待ち合わせをして、雨の中
遠路はるばるというべきか、電車で一時間ほどの距離を
そこに向かった。
「どんな思い出がある?」
と、知人は空いた電車の座席に座って、ぼんやりと窓の外の
風景に目を向けていた僕にそう尋ねてくれた。
「色々な思い出があるけれど、退屈さ、かな」
少し考えてから、僕はそんなことを口にした。
僕がしっかりと追憶のような感情に包み込まれて、それ以上
言葉が続いてこないことに気づいたのか、彼女はi-podの
ヘッドフォンを耳に突っ込むと、少しして眠ってしまったようだ。





駅に着いた。
彼女を軽く揺すって起こすと僕らは列車から降りた。
「一人になりたい。そうでしょう?」
と彼女は言った。
「そんなことはないよ。」
それでも、知人にそう言われてみると、僕は自分が不思議なくらい
懐かしい街を一人きりで散策したいという思いを抱いていることに
気がついた。
「やっぱり、少し一人になって歩いてみたいかな。退屈だった頃の
自分に再会しているようで、何だか照れくさいから」と僕は言った。
「いいですよ」と彼女は言った。
「二時間後にでも、駅で待ち合わせして、ご飯を食べましょう。
その間、好きなだけ過去の自分に浸ってください」

好きなだけ過去の自分に浸る、その言葉がなんとなく彼女らしくて
僕は少し笑った。
改札を出ると傘を差して、我々は手を振って分かれた。
電車の中で彼女が僕にした質問について、明確な回答を考えてみる。
退屈さ、と僕は言った。
僕という人間の退屈さ、若い時代の退屈さ、町の退屈さ、色んな意味で
それは間違った答えでなかったことにふと思い立った。

カバンから、小型のカメラを取り出して首にぶら下げた。
広角レンズを搭載したそのカメラは小さいボディーに似合わないほど
シビアに風景を切り取ってくれる。

駅前ははっきりと面影を残していた。
僕は20歳に戻ってしまったような気持ちを感じた。
どんな思いで、この道を何往復もしていたのだ、と自分に問うた。

路地の道を選んで歩き始めた。
古く寂れた小さな神社。その神社を抜けて、路地を奥へ進んだ。
10分も歩くと、その頃、住んでいたアパートが姿を現した。
大家を尋ねようか・・・。ふと、そんなことを思ったが、3年以上も暮らした
というのに大家と碌に言葉を交わしたこともなかったのだと思いなおした。
アパートの新聞受けを覗いて、昔、僕が住んでいた号室の名札を確認する。
誰も住んでいないようだった。

僕は再び傘を差して、外へ出た。
大学をサボって、夕方に目覚めると良く飯を食いに行った小さなレストランの
方へ向かって歩く。
レストランのあった場所は跡形もなくなくなっていた。
何処へ行こうか・・・?



二時間後の約束通り、彼女は改札で随分と眠そうな顔をして、僕を待っていた。
「何処かへ入りましょう。なんだか、雨が冷たいわ」
僕らは目についた小さな洋風のレストランに入った。
その店は昔なかったものだった。
「じゃあ、この日替わりランチを」
「じゃあ、私もそれ」
僕らは雨の音を聞きながら黙って、遅めの昼食を取った。
朝早く家を出たので、土曜日はまだ十分、時間を残していた。
「何処へ行ったの?」
コーヒーを飲みながら、煙草の煙を吐き出していた僕に彼女はそう尋ねた。
「住んでいたアパート。それから、良く昼寝をしに行ってた河原。」
「それで、何か面白いことはあった?」
「特になにもないよ」と僕は生返事をして、煙草をもみ消した。
「でも、一つ思い出したことがある。この町の図書館でCDを借りっぱなしに
なっていたんだ」
「何のCD?」
「ドビュッシーの「海」というレコードなんだけど。引越しの時にダンボールに
入れてもってきてしまったみたいなんだ。今でも家にあるよ」
「盗んだのね?」と彼女は持ち上げたコーヒーカップから、瞳だけを覗かせて
笑った。
「そうじゃないけれど、まぁ結果的にはそうだね」
「貸し出し中になっているのかしら。そのレコード?」
「10年もの間?」
「だって、現実の問題、10年もの間、あなたはそれを借りっぱなしなんでしょう?」

店を出ると僕らは図書館へ向かって歩き始めた。
見慣れた町並み。昔からある貸しレコード屋の姿が見えた。
何枚ものレコードをここに売りに来て、夕飯の小銭に変えたものだ。
彼女は青い傘の下でくすくすと笑った。
「ほんとに随分と貧乏だったんだね。」と僕は言った。

図書館につくと彼女は窓口の貸出係にドビュッシーの“海”はあるか、と尋ねた。
貸出係は柱のわきのパソコンを指差し、あれで確認してみてくれ、と答えた。
彼女がドビュッシーと入力すると、“海”の入ったCDが検索されてきた。
「貸出中」と彼女は僕の目を冗談っぽく覗き込みながら、そう読み上げた。
「まったくねぇ」と僕はつられて笑った。
「図書館の記録からは抹消されていないみたいね」
「でも時効さ」と僕は答えた。そう、時効。あれは10年近く昔の話なのだ。
「随分と利息がついているかもしれないわね」
「図書物には利息はつかないだろう。現実的に言ってさ。」
僕らは雨の匂いのする図書館を暫く黙って歩きながら、時々気になる本を
手にとったり、自分が読んで感銘を受けた本について言葉少なく語り合った。

土曜日の図書館には受験生やら初老の男女や調べ物をする人がちらほらと
いた。
三連休を実家で過ごすという彼女がその滞在中の暇つぶしの本を探している
間、僕は図書館の中庭の喫煙室で煙草を吸って過ごした。
「ねぇ、次に来るときにドビュッシーの“海”を持ってきたらどうかしら?」
「なんて言って返せばいい?」
「なんだっていいわよ。忘れていたとか、気がとがめて10年ぶりに返す気に
なったとか、適当に言えばいいじゃない」
「高い利息を請求されるかもしれない」と僕は言った。
「図書物には利息はつかないんでしょう。現実的に言って」
「そう。現実的に言って、図書物には利息はつかない」と僕も返した。
「あなたが返したら今度は私は借りに来るわよ」
僕らは雨の中を駅まで歩くと、そこで分かれた。
再びやってきた静かな一人の時間にもう一度、町をぶらぶらと散策したいような
気になったが、なんだか雨降りがわずらわしく、結局僕は池袋行きの乗車券を
購入した。

帰りの電車がやってくると僕はふとあることを思い出した。
やれやれ、今日もまた写真を撮ることが出来なかったな、と。
雨降りがいつまでも続きそうな土曜の町の重たい空気を吸い込みながら
僕はいつのまにか深く電車のシートで眠りに包まれていった。
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by waterkey | 2007-07-15 02:08 | SNAP



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