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異例対談(4)waterkey / X氏 
風景に何を見ているか?

「話を進め易くする為に、ちょっと簡単な前置きをします。僕らが見ている風景というのは、ある意味で同じように見えているはずですよね。ひまわりを見れば、ひまわりとして僕は認識するし、あなたも同じようにひまわりとして認識するはずです。でも、僕らは気持ちによって、風景すら別の形に見えたりしているというのが僕の考え方なんです。」

-たとえば、それはどんな時でしょうか?

「心にやましいことがあるときに墓参りすると、なんか先祖に怒られているようなね(笑)。仏壇に飾っている死んだ祖父の写真が怖く見えるとか。そういうことってありませんか?」

-ありますね(笑)

「浮気した後で、恋人と会って、向こうは何にもその気がないのに、こっちは勝手に見透かされているような気持ちになったりとか(笑)それで、僕なんかも自爆して、あることないこと喋ったりしちゃったりとか。」

-背中が怒っている風に見えたりとか(笑)、ありますね。

「風景がどう見えているか、というのは心の中を占有している“何か”によって、人それぞれだと思うんですよ。」

-それは確かにそうでうね。暗い気持ちでいると、なんとなく空も曇って見えたりとか。

「心の中を占有している何かによって、風景は歪んでくる。意味が違ってくる。そうすると人によって、そこに託す意味が変わるのかな、と僕はなんていうかそんな風に思っているんです」

-価値観みたいなものとも関係するんでしょうか?

「もちろん、していると思います。女の子がエルメスのバックを持っている。誰が見てもエルメスのバックだと分かる。でも、持っている人にとって“意味”はまちまちだと思うんですよ。それは価値観の違いなんだと思う。女の子のエルメスに対する関係性が一人づつ違うというか」

-ある人にとっては、なけなしのお金を叩いて買ったものだし、ある人はたくさん持っているうちの一つだし、

「あるいは、虚栄心で持つ人もいれば、純粋にデザインが好きで買うのもいるだろうし、皆が持っているから、というのもいるわけですよね」

-なるほど。そうなると見ている風景は本当は同じでも、意味は異なってきます。

「異なってきますよね。じゃあ、その歪んでいる風景はどこにあるの?と言うと、難しく言えば意識の下の方だと思うんですね」

-意識の下ですか?

「現実というよりは夢に近いというか、そういう場所で起こっている物事になると思うんですよ」

-感覚的な問題ですしね。

「えぇ。気持ちが大きくなったからといって、別に東京駅のサイズが小さくなったり、大きくなったりするわけじゃない(笑)」

-現実はそうですよね。なんら変わらない。

「でも、場合によっては東京駅は小さく見えたり、大きく見えたりすると。それは僕らの意識ではなく、意識下の問題です」

-そういう意味ですね。僕らは普段、どちらの目線で見ているんだろう?

「これは難しいですけどね。どちらかと言えば、その中間あたりでバランスを取ってみているんだと僕は思います」

-そういうことですね。

「少し話を変えさせていただくと、仕事なんかもそうだと思うんですよ。みんなで集まって九時から五時までやっているけれど、一人一人その場所が持つ意味は違いますよね?」

-違うでしょうね。お金のためだったり、仕事が楽しかったり、それはもう全然違うと思います。

「だから、会議が増える(笑)。それは、僕らが一人一人違うから認識を同じく、統一するためにやっていると思うんですよ。」

-会議多いですね、うちなんかも。

「変な愚痴みたいになっちゃったけど(笑)。じゃあ、共通の目的は何かとなったときに、やっぱり現実的な話になるじゃないですか。お金を儲けて、それで少しでも給料を良くしてもらう、とか。そういう目的が、会社では正論になるわけですよね」

-その通りだと思います。

「社会というか、会社みたいなところは先ほどの話でいうと、意識か意識下かで言うと、意識でやっていると思うんです。それを求められる」

-現実的なモノの見方を共用されますからね。

「でも、それだと個人というのは色々不満なわけです。あの部長、勝手なこと言いやがってとかね(笑)」

-なんとなく、腑に落ちない部分が残る。

「じゃあ、個人の不満というか、感情みたいなところは誰が掬い取るの?というと、これは会社じゃないですよ」

-会社じゃないですね。

「会社じゃない。それは別のところで交換されると思うんですね」

-たとえば、表現みたいなところで。

「そうそう。人間は皆、平等である、と。そりゃ、ごもっともだ、と皆言うけれど、社長は平日にゴルフに行って、平社員みたいなのはそれこそ何時間も残業して働いている。でも、社長に誰も文句なんて言やしない。それが意識ですよ。」

-見てみぬ振りをして、やり過ごす。

「でも、意識の下の方、うんと下の方に行くと、社長も平社員もないわけですよ。あるいは会社を出たら、そんなの関係ない」

-なるほどね。

「そういう下の方で僕らは表現を受け止めてるんじゃないか、と。僕は思ってます」

ーはい。

「写真を撮るときって、結構フラットな気持ちになりませんか?」

ーなりますね。フラットだし、ニュートラルだし。

「そうですよね。で、意識が消えてる」

-ある意味で消えてます。

「そうすると、普段と違う風景が見えたりするのかなぁと」

-確かに、“社長”とか“上司”みたいなのは消えてます(笑)

「なんで、表現によって人が癒したり、癒されたりするのかというと、そういう現実のラインみたいなものが薄れていくからだと思うんですよ」

-それは本当にその通りですね。逆に言うと、そこにまで現実を持ち込みたくないですしね。

「だから、僕は結婚していないけれど、旦那さんが写真にお金を掛けてても奥さんは許してやってほしい(笑)。それは大事な行為だから」

-その分、ちゃんと働くから、と(笑)

「(笑)そうそう。で、僕はあなたの写真を見ていて、この人の写真は大事だなと思うんですね」

-ありがとうございます(笑)

「なんで、大事かというと、あなたの“傷”みたいなものが記号化して、薄まって写真を通して、薬になっているからだと思うんですね」

-よく分かります。

「現実世界では誰も傷なしに生きられないですからね。それで、連続的に写真を撮り続ける行為の中心にはそういう“傷”みたいなものがあるように僕は思うんです。まぁ、人それぞれ意見はあると思うけど」

-現実の方で起こっていることや、世界は本当は歪まない、というところで受けた傷が入り口になってると。

「で、僕はそういう深いところまで行って、はじめて表現が形をなしてくると思っています」

-なるほどね。そういう風に考えるととても分かりやすいですね。僕もある意味では、そういう部分はあると思います。一人で街を歩いて、たくさんの風景を撮っているという行為そのものが、写真を撮らない人には全然理解の出来ないものだろうし。ある意味では不思議な行為ですよね。

「だからこそ、共感を得るんだと思うんですね。」

→ 次回につづく
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by waterkey | 2006-08-23 21:35 | 対談集



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