<a href=wata-chrome " />


<< FREE KICK ! | 平和を我らに! give pi... >>
異例対談PART(3)waterkey / X氏   
癒されるという感覚

W「写真を撮っていく過程で、自分自身が癒されていくという感覚はありますか?」

-癒されているというべきか、どうか難しいところですが写真を撮っているとき、頭の中が空白になっていることが多いです。

「僕は、長いこと集中的に風景を撮りためてきて、あるとき、ふっと楽になるような瞬間があったんです。それで、僕が写真を撮ることの意味というのは1つにそういうところにあるようにも思うんです」

-楽になるというのは、どういう感覚だったのでしょう。

「なんていうのかな、僕は前にも言ったように大学時代、テキストを書きたいと思っていました。でも、どういう風に書けばいいのか全く分からなかったんですよ。ただ、分からないままに書いていく中で、そういう騙し絵効果みたいなところに行き着いたんです。長い階段を歩いていて、ふと踊り場に出くわすような感じで」

-えぇ。

「それは要するに、ストラクチャーみたいなものなんですよ。要するに建築の骨組みたいなね。でも、いざ物語として、それをおし進めていこうと思う段階になって、僕は物語を展開するには、あと2,3何かが必要だと思うようになったわけです」

-あぁ、なるほど。骨組みというか構造的にこういう形で、という方向性は決まったけれども。

「建物として、たとえれば、そうですよね。骨組以外にも色んな資材が必要になるわけだから。たとえば外壁は木材なのか鉄材なのか、とかね。」

-あぁ、そこでまた壁にぶつかるわけですね。

「要するに、僕が一番悩んだのは“向こうからやってくるもの”の設定だったんですよ。」

-といいますと?

「具体的にいえば、偶然性みたいなものですよね。自分の思いというか、ある種、自我みたいなものや記憶なんかを辿って、それをエンジンにして走らせるわけなんだけど、自我だけでは物語は成立しないわけですよ。物語というのは基本的には外界と自我との関わりみたいな構造をとらないと中々成立しないわけだから」

-あぁ、そうか、そういうことか。

「で、向こうからやってくるものというのは、いわば自分の頭で考え出すようなものでは弱いわけですよ。よく写真でも、構図をさっと決めたとき、それからシャッターを押すまでの、ゼロコンマ何秒というところで、向こうから、予期していなかったものが画面に飛び込んでくるということがありますよね?」

-ありますね、街なんかだと頻繁にそういうことがあります。

「それで、それは自分としては“撮りたい風景”ではなかったわけだけれど、不可抗力的にそれが向こうからやってきちゃって、でも写真が出来上がって見てみると、飛び込んできた何か-ここでは、おっさんでも、動物でも何でもいいわけですけど-その、何かがあることで、予測を超えて画面がしまったり、深い意味を持ったりということが」

-あります。そういう“偶然性”ですね。

「所詮、頭だけで作った物語や表現なんて、タカが知れているわけですよ。そうすると非常に、偶然性というものが意味を持ってくる」

-それによって、ストーリーが展開しはじめるような要素になる、と。

「うん。でも、それは自分の脳の中で認識されていない外部のものだから、それが物語を“つないで”くれるわけですね」

-よく、分かります。

「現実的には出会いなんて言う言葉で表現する種類の物事です。その飛び込んでくる何かによって、物事がうまく流れたり、あるいは余計にこんがらがったりするわけなんですけど(笑)」

-なるほどねぇ。

「そうするとね、頭で作った、というか頭で切り取った構図を超えてくるんですよね。で、僕はそれが今、すごく面白い」

-非常に面白いですね。

「だから、僕ね、おしゃれ写真みたいなのは一切興味ないの。いや、別の目線で見ればね、いいものは沢山あると思う。でも、表現として、考えるとね。それはやっぱり一人の人間の頭で考えたものだから、どうしても弱いですよね。で、僕は表現という目線ではそういうことを思うんです」

-おしゃれなものはイメージが重要になってきますよね。それはそれで、上手くやると良いものになることもあると思いますが。

「イメージというか雰囲気優先なんですよ。だから、良く「違う、これじゃない。俺のイメージは」みたいなところで、やっているけれど。」

-スタジオとかでの撮影になると、偶然性はほとんどないですからね。

「というか、そういうの(偶然性)をどんどん排除して、完全にイメージの方に世界を近づけるわけだからね」

-うーん、これは僕も考えていかないと。

「僕はだから、街で撮るの好きなんですよ。変な人と“出会ったりさ”、なにかが“飛び込んで”来る場所だから。街というものは」

-僕もそういうところがあるかもしれない。

「僕は、自我なんてものにある意味で固執したくないんですよ。振り回されてはいるけど。振り回されてはいるけど固執はしたくない。」

-確かに凝り固まっていくと、どんどん目線が狭くなっていきますからね。

「そう。自我に一貫性なんて求めない。ある意味、変化していくのが前提と思っているから。」

-そうすると写真の主人公は、変化していく自分ということになるんでしょうかね?(笑)

「分からないけどねぇ。ただね、写真を撮っている人で、どうも面白いのが撮れないなぁ、という人はある意味で固執していると思うんですよ。その自我だか、自分の世界だかに。それを掘り下げて、深めてどんどん足元を掘っていくというアプローチはいいと思うんだけど」

ーそれが表層的なところで、「こう撮ろう」と決めすぎちゃうと面白くないということになりますね。

「そうなるんだろうね。僕らは何処へ向かっているのか?というのがやっぱり現代のメインテーマだと思うんですよ、僕は。で、そのために行う表現活動というのは、規定の枠組みを取っ払っていくプロセスと、向こうからやってくるものとの出会いになると思うんですけどね」

-写真を撮る側も写真を撮ることで何処かで行ければいいし、それを見る側も、何処かへ行ければいいですしね。

「で、その何処かというのは作者はよく分かっていないわけだから。そういう表現の提出の仕方は理に適っていると僕は思いますね。作者も見る側も同時体験をしているわけだから」

-それが自然に身を任せるということになってくるんでしょうね。余り作りこみ過ぎないというか。

「そうそう。で、先に話した癒されるというのは、僕はそういう同時体験が重要だと思うんです。風景を共有するみたいなところで」

―なるほど。

「あなたの写真は孤独な感じがすると僕は言ったわけだけれど、僕はあなたの写真に映し出された孤独にある意味で感応していると思うんですよ。
で、見る側として、共鳴するし、その共鳴が癒されるということになっているんだと思いますね」

-僕は僕で、それを誰かに共有させることで、少し楽になる。

「そういうのがないと、傲慢になってきちゃうからね。与える側と、与えてもらう側みたいな関係だけでは」

-その通りですね。waterkeyさんは僕の写真の距離感、waterkeyさんの言葉を借りれば“異国感”みたいなものに惹かれていると仰ったところのことなのですけど。僕の異国感みたいなものはwaterkeyさんの異国感でもあるというわけですね?

「本当にその通りだと思う。で、そこに空から偶然性の役割を担った何かが降りてきて物語として展開していくんだとも思います」

-なんだか、頭がすっきりした気がします。

「風景に何を見ているか?、というところを話したいと思います。」

-はい。

→ 次回へつづく。
[PR]
by waterkey | 2006-08-23 20:40 | 対談集



Creative Commons License
This weblog is licensed under a Creative Commons License.