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異例対談PART(2)waterkey / X氏   
-僕の方からも少し質問をしていいですか?。waterkeyさんのテキストを読んでいると文章を書き慣れているという感じを良く受けるんですね。
それは職業的なものなんでしょうか?。 

W「実は大学時代、僕は纏まった文章を書いていた時期があるんです。」

-文章を読んでいれば、なんとなく分かります(笑)

「そうですか?。まぁ、正確に言えば脚本を書いていたんですけどね。経済学部だったんですけれど(笑)」

-映画のシナリオのようなものですか?

「大体そのようなものですね。」

-今では、もう書いていないんですか?

「書いていませんね。なかなか、そんな時間もないし。」

-是非、当時のものを読んでみたいです。

「それは止めておきます(笑)」

-残念だな(笑)

「最初はストーリー性の高いものを書いていたんです。何か事件が起こったり、誰かが何かに巻き込まれるような、そんな筋のものを」

-はい。

騙し絵効果について

「でも、段々書きたいものが変わってきた。僕は最後の方は、絵で言うところの騙し絵みたいなものを書いてみたいと思うようになったんですよ」

ー騙し絵ですか?

「なんていうのかな、良くあるでしょう?。じっと見ているうちに別の絵が浮かび上がるようなやつなんだけど」

ーあぁ!。分かります。目のピントがずれると最初とは別の絵が見えるような。

「うん。そういうストーリーが書けないかなぁと随分苦労してたんですけどね。」

ー難しいし、技術が要りそうですね。少なくとも絵でやるより難しそうだ。

「難しいですね。普通に読むと普通に読めるんですよ、でもね、ちょっと視点を変えると-あるいは目の焦点をずらすとーまったく別のストーリーが浮かび上がるような、そういうイメージだったんです」

ーなるほど。

「どうして、そういう面倒なことをやらなければいけないかというと、例えばね、最初の喧嘩の話に戻すと、僕がどんなに切実にその喧嘩の話を“当事者”として誰かにしてみたところで、第三者には伝わりづらいと思うんですよ。」

- 当事者の心境は、分からなかったりしますよね、意外に。

「でも文章の下手な人はね(笑)、事実をありのまま書くんですよ。1から10までという風に、現実的な順番どおり。で、それをリアルと勘違いしちゃう。」

-分かる気がします。

「俺は普通に道を歩いていたんだと、でも向こうから態度の悪いのが歩いてきて肩がぶつかったんだ、とね。それだけの話を、その道に到るまでの、例えば朝飯の話かなんかから始めちゃうわけですよ(笑)。俺は今思えば、朝からツイてなかった、とか言う話からね」

ー あぁ、なるほどね(笑)

「でも、聞いている方は朝飯の話をされようが、どうしようが、その本題の部分、肩がぶつかって、でもそれは向こうが悪いんだということを話し手以上には理解しやしないですよ」

- その通りだと思います。逆に朝飯の話なんかが入ってくると、分かりづらいですよね(笑)

「でも、文章を書いたことのない人に長い文章を書かせたら、ほとんど10人中の10人がそういうのを書いてきます。自信満々に(笑)。余程、文才があるとか何とかしない限りは。僕も最初はそういうのを書いていたんですよ」

- あぁ、なるほど。

「でも、それじゃ、当事者の思いをリアルに伝えることなんて出来ないということに長い文章修行を通じて、気づくわけです。」

-はい。

「じゃあ、どうするかというと、別の物語をでっちあげるしかないわけですよ。例えば海老の味を説明するときに“胡桃のような”とか言ったりするじゃないですか。あるいはワインの味を、ワインとして説明するのではなく、柿に例えて、その渋みを伝えたりしますよね。」

-そうすると分かりやすい。

「分かりやすくなります。そこで、一歩近づくわけですよ。表現する側と、それを受ける側が。胡桃や、柿を通じて、置き換えられたものを通じて。」

-よく分かります。

「僕は表現はそういうものだと思うんですよ。写真でも、絵でも、小説でも」

-なるほどね、深い話です。とても面白いですね。 

リアリティーな表現

「それが騙し絵の効果です。つまり、本当に伝えたいことは、そのまま書かずに、何かに置き換える、というのが、つまり、その面倒なプロセスが物語ではないかと僕は最後に思うようになったわけです」

-でも、そこまで辿りついた時点でもう書けていたのと同じように僕は思いますけど。

「何故、こういう話をしたかというと写真も、そんなところがあるのかなぁと僕は思うんですよね。というか表現全般に言えるんじゃないかと。その騙し絵の法則みたいなものが、表現の深みなんじゃないかと。」

-写真もそういうものがないと面白くもなんともないですね。

「入りやすさとか、分かりやすさは必要だと思うな。逆に言うと大衆性みたいなものがなければ、表現は駄目だと思うんですよ。難解なものは偽物だと僕は思うし。でも、分かりやすさで終始してしまう表現では、何にも伝わらないですよ。例え、楽しく鑑賞できたとしてもね、心に残らない。だから、入り口は分かりやすく、中に入るほど深いというのが、僕は本物なんじゃないかな、と思います」

-確かに、入りやすさというのは大切な要素ですよね。ぱっと見て、良くなければ見る方は中のほうまで入ってきてくれないわけですから。

「そうだと思います。これは僕のほうからの質問になりますが、あなたも、そういう目の焦点がずれると別の見え方をするもの、みたいなことを考えたりしていないですか?。僕はそれを強く感じるんですよ。写真を見ていて」

-言葉として、そういう風に認識はしていなかったですけど。でも、僕は滑稽さみたいなのは結構意識しているかな。なんだろう、本人はいたって真面目なんだけど、真面目なだけに、そこに可笑しみがあるようなものとか。あとは、やっぱり孤独なものに強く惹かれますよね、被写体として。東京の街は、そういうものが不思議なくらい、沢山そういう被写体が転がっているから。

「東京は一人で歩いている人が多いですよね。特に東京でも都心部というか、ビジネス街みたいな場所については」

-それから、渋谷や新宿なんかも全然別の街ですけど、若い人が多い場所だし、彼らは群れていたり、皆で何かをしているんだけど、なんか孤独な感じを受けるときがあるんですよ。あっ、僕と同じようなことを思ったりしているな、この子とか。僕は結構思います。

「そういうとき、彼らにカメラを向ける?」

-そうですね。僕は撮りに行ってますからね。撮る題材を探して、カメラをぶら下げて、ふらふらしているわけですから。題材があれば撮ります。

「声かけたりしますか?。僕は半々。でも、声かけると意味がないみたいな人が中にはいるじゃないですか。カメラ目線はいらないというか」

-悦に入っている人とか。公園なんかだと踊っている人とか、そういうのは出来れば黙って撮り去りたい気がします。でも、僕は結構声かけちゃいます。それで、暫く待っていますね。

「向こうはカメラを向けられて意識していませんか?」

- そういう時は一枚くらい、とりあえず撮っておきます。でも、その後で自分が撮りたい瞬間が来るまで僕は結構待ってますね。

「あぁ、なるほどね」

-向こうも暫くは身構えているんだけど、段々、意識がカメラから離れてきますから。その瞬間に撮っちゃいます。

「そういう風に撮っているんだね」

-僕はそういう撮り方をすることが多いです。

「写真を通して、あなたの写真を毎日見ている人に何か言いたいこととかありますか?」

-うーん。なんか、あると思いますね、写真を見てもらいたいのは、やっぱりなんかがあるんだと思いますよね。

「なるほどね。セルフポートレートを撮ったりはしないですか?」

-あまり、しないですね。

「(笑)。写真を撮ることと、自分を表現することは同じ意味合いですか?」

-どうかな、別なような気もしますね。撮ること、そのものに自分が興味があるから。わからないですけど。

「なかなか崩れないですね(笑)僕は角度を変えて同じ質問を三回繰り返したんですけど。あなたの写真の主人公は、誰なんだろう?ということについて。でも、あなたは全然崩れないですね」

-そうですかね(笑)

「撮っている自分は写真には写らないですけど。写真を撮ったのはあなた自身なわけですよね。でも、被写体は常に移ろっているわけだから。常に同じ対象を撮っているわけじゃないから。そうすると連続的に写真に関わっているのは、あなただけじゃないですか。」

-そうですね。

「そういう意味で被写体は、自分自身なんだろうか?。というのを直接的な質問をせず、問いかけてみたかったんです」

-あぁ、なるほどね。それは確かに僕自身を表現することになりますからね。

「でも、良いです、もう。誘導尋問みたいになっちゃったし(笑)。でも、どうして、こんな風に写真を“撮る羽目に”なったんだと思いません?」

-時々、思いますね、何のために撮っているんだろう?とか。

「カメラは重いし、街を歩くのは足がしんどいし(笑)。それでも、飽きもせず写真を撮るのは何でなんだろう?」

→ 次回へつづく
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by waterkey | 2006-08-22 21:03 | 対談集



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