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ハッピーエンドと物語の有効性(3)
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<これで終わりです。読み飛ばしていただいて結構です>

何度も読み返すことで、少しづつ理解が深まるような種類の複雑さ(これは謎と
言い換えても良い)を取り入れることが必要になってくるだろう。
私たちを規定している記号が独自的であれば、あるほどそこには謎が必要だ。
1度読んだだけで、理解の出来てしまうテキストではなく、何度も繰り返し読む
ことが重要なのだ。
しかしながら、それは複雑な言葉や文法を用いることではない。
歩み寄ることで距離を詰めることの出来る適度な“遊び”を設定することが物語を
単純なハッピーエンド指向のそれと切り離すことを可能にする。
良質なテキストを立ち上げること。
物事の組成を根本から変えてしまうようなもの。
それは作者自身を超える力が必要であり、それは簡単なものではない。

自分を理解してもらおうとすることや、分かってもらおうとするタイプのテキストに
対して僕らはうんざりしている。
自我と外界のぶつかりあい、という有り触れた地平を越えること。
道によって、私たちが歩かされているという反転した物語性に新しい物語の方向性
を見出すことが出来るように思う。

もしかすると、それはハッピーエンドにすらならないカオスを包含しているとも言える。
無秩序で散漫なテキストにもなりかねない。
心の奥底にある膨大な領域、暗闇。
その領域に個人が踏み込むとき、そこに別の共通項目を見出すことが出来るのかも
しれない。
一般的に良いと言われているものは、本当は対して良くないと言い換えることの出来る
くらいの文脈から、そうした個人的な非ハッピーエンドの物語は生まれるのかもしれない。
安易な感動や、嘘を排して。
それはとても勇気のいることであるとしてもだ。
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by waterkey | 2006-08-15 20:58 | SNAP



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