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ハッピーエンドと物語の有効性(1)
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著者注<読み飛ばしてください>

現代文学の多くのテキストはハッピーエンドを指向する。
読者にとって、好まれるストーリーと作者における物語性が別の地平にあるとしても。
その両者は幸福な関係にあるように思える。
ベストセラーとなった最近の小説を読みながら、そのようなことを考える。
私たちは分かり合えない、というテーマについて語られるテキストなど誰も求めていない。
そこにあるのは、一つの想定としての共通理念であり、“なぞらえ”とも言える。
いま、私たちが歩む夫々の路地に、どれくらいの有効な物語を私たちは見出せるだろうか。
共同幻想を超えた、個人的な物語が果たすことの出来る本当のハッピーエンド性について
考えると、その試みの難しさに類を見ない時代の複雑性が自然と重なる。
あるいは個人の物語を現代社会にオーバラップさせることが偽善であるかのようにも思える
風土が形成されつつある。
そういう意味で孤独な時代である。
共に戦うという方法論を打ち出すことの出来ない地平に私たちはいま、生きている。
ハッピーエンドの物語の多くは、物語という形態をとりつつも、分かりやすさと物語を構築
する作業においては旧時代的な手法を“なぞらえ”ているに過ぎないと私は思う。

ライト感覚なテキストを濫読することで私たちは、何処かに行けるのだろうか?
新しい語り口調は、その物語の切り口は個人的であることが必要になってきている。
そういう意味では模範とする物語は過去にはもう余り多くはないだろう。
氾濫する誤った物語を見分ける力を養う作業を担っているのは、そうしたテキストではない。

ハッピーエンド指向というテキストを万人が望む物語性と想定し、それをなぞらえる作業に
物語の立ち上げはこれから益々難しくなることだろう。
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by waterkey | 2006-08-15 20:22 | SNAP



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