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しるし >>
これで、僕の旅の話は終わりだ。 後日譚なら、少しはある。 僕はあの山を下りた後で、体調を酷く崩してしまった。頭痛と吐き気が襲ってきたのだ。 奈良から、京都へ戻る道の途中、僕らは(というのは僕と、その相棒のことである)車の窓ごしにずっと薬屋を探していたけれど、結局、一軒たりとも薬屋は見つからなかった。 京都駅付近でどうにか薬局を見つけ、そこに入って僕は店員にとりあえず事情を説明した。 たぶん、暑さでやられたんだと思う。とりあえず頭痛が酷いから鎮痛剤を処方してほしい。 でも、彼女はおっとりと、でも強情に最後まで鎮痛剤を売ってくれなかった。 彼女は、僕に同情的だったし、熱心に話を聞いてくれたけれど、夏ばてに鎮痛剤を処方することには職業的信念を頑なに持っているようだった。 彼女はその代わりに漢方薬を処方してくれた。僕は諦めて、(半ば捨て鉢な気分で)その対価を支払って店を出た。 これが酷い代物で、想像はしていたけれど、まったくといって良いほど効き目がなかった。 僕らは仕方なく、とりあえず鴨川まで戻った。 『大丈夫?』と友人が尋ねる。強い夕暮れの光のせいで、友人はシルエットがかって見える。 『少しゆっくりしていればね。時間は掛かるかもしれないけれど。出来れば一人でぼんやりしていたいんだけど』 鴨川の辺の木陰に車を駐車してもらい、クーラーを消して、車の窓を全快にし、濡れタオルを頭に被せて、僕は目をつぶった。(そうする以外に何が出来るだろう?) 忌々しい漢方薬は全て車の窓から放り出して。 目をつぶって、木陰で風に吹かれながら、僕は暫くぼんやりとしていた。 瞼の向こうから夕暮れのオレンジの触手が僕の所にも、その手を伸ばしている。 そして、そこで僕は確かに風の鼓動を耳にした。 最初それは何かの聞き間違いだと思った。 それは特殊な風で、僕が何度かこれまでにも旅先で出会った風である。でも、それは本当に滅多にやってくるものではないのだ。 僕は車の助手席でその風に、その遠い“こだま”に耳を傾けた。 その鼓動は、音楽で言うシンコペーションのように規則正しいリズムで、何度も同じ繰り返しを続ける。ボリュームだけが段々大きくなる。 “君は、何処へ向かっているのか?”と特殊な風は僕に問いかけてくる。 ある種の春風が桜の花びらを飛ばしてしまうように、ある種の風が誰かの帽子を奪い去るように、それは僕の心の中の乾いたスペースにだけ、吹きかけてくる風なのだ。 僕は目を閉じたまま、暫く考えている。 『さぁ、僕は何処に行こうとしているんだろうね?』 僕らは何処へ行こうとしているのだろうか?、それが僕の旅のテーマである。いや、それは僕だけに限ったテーマではない。それは誰にでも共通するテーマなのだ。 流れをとめてしまったように見える場所、鴨川。 そこにあるのは、過去の輝きであり、過ぎ去りし日の郷愁のメロディーである。 僕はこう思う。 僕らは流れに運ばれる、一枚の葉っぱのようなものだ。滑稽なくらいに、僕らは何かに任されている。 その葉っぱが気まぐれな風に、河の流れに運ばれて何処かから何処かへと移動する。 でも、僕はとりあえず東京に戻らなくてはならない。 あの薄汚れて、ケバケバしくて、何もかもが上っ面だけに思える僕のためのカントリーに。 そこで、僕は一枚の絵葉書をまず書き上げることにするよ。 僕は風に返事をする。いや、こちらから歩み寄って話しかけてみる。 俺は、まずそこから何かを始めることにするよ。 親密な友達に、何年かぶりに手紙を書いてみたいと思うから。 それから、僕は誰かのために何かをしたいとも思うんだ。どうしてか分からないし、何をすれば良いのかも、まだ分からないけどね。 僕は風に、-それはもしかしたら僕自身かも知れない-話しかける。 特殊な風は、やがてあらゆる気配を消して、僕の元から離れてゆく。彼は何も言わない。何も教えないし、何も導かない。 静けさだけが、彼の不在を証明している。いつも、そうだ。 やがて、友人が車へと戻ってくる。風と入れ替わるように。 『どう、まだ具合は悪い?』 『問題ないよ』と僕は答える。『ありがとう』 僕らは、夕闇の迫る京都の鴨川を離れる。 そして、僕は夕暮れの最後の光を全身に浴びながら、歩いていた道を振り返る。 やがて、僕はとりあえず今日の分の残りの力を使って、前へと足を進める。 それがどこであれ、僕のための場所に歩いていくために。
by waterkey
| 2006-08-07 01:09
| 旅行記
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