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ポイント
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The name of this temple is Todaiji in Nara. July

僕は少し迷った上で、本堂の中の売店で、うでわ数珠を購入する。2千円くらいである。特別安くはない。うでわ数珠には、このような文章が付け加えられている。以下抜粋。
“お釈迦さまは菩提樹の木の下でおさとりを開かれました。数珠は、人間の持つ多くの苦悩を救うためにお釈迦さまがお弟子に与えられたのが始まりです。”
そう思って、してみると何だかありがたいような気にもなってくる。ご利益があれば良いと思う。
僕はそれを早速、腕に巻く。僕はどう控えめに言っても宗教心というものに縁のない人生を送ってはいるが、それでも。

本堂を出て、喫煙所で煙草に火をつける。鹿、鹿、鹿。外に出ると再び鹿のワンダーランドになる。。僕はベンチで煙草を吸いながら、風景を見つめる。

なんとなく小腹が減ったので、何も考えず構内の蕎麦屋に入り、蕎麦を食べる。
暑さと人の多さと鹿に、少しばかりウンザリとしながら東大寺を後にする。
東大寺について語ることはそう多くはない。たぶん、相性のようなものだと思う。
特に気にいらないとか、そういうことではなく、そのあり方にそれほどの関心がもてないだけだ。
たぶん、少しは鹿のせいかもしれない。あるいは人の多さのせいかもしれない。
いずれにせよ、僕の気に入らないことで東大寺の価値は何ら毀損されることはない。
当たり前の話ではあるが。

道の途中で、僕はサングラスを購入する。空がちかちかと明るすぎて目が疲れるのだ。
レンタカーのナビゲーションを操作して、近場に温泉を探す。昨日も温泉に入ったのだが、その温泉は少し商業的で、我々が求めているものとは少し違った。
僕らは、山あいの秘境温泉のようなものをイメージしていたのだ。
ナビゲーションで適当にインプットして、所要時間とその名前から適切と思われる温泉地を捜し求める。
日は緩やかに傾き、空の青さには少しづつ黄色が混じってゆく。もちろん、時間はまだ大分あるが、なんとなく気持ちが焦るようなところがある。どうしてだろう。


僕が京都に行こうと誘ったとき、友人はあっさりとOKした。
いや、それは僕の思い違いかもしれない。京都へ行こうと誘ったのは友人であったかもしれない。しかし、我々は比較的短期間で行き先を決めて、経路を決めた。後の現実的なことは殆ど友人がやってくれた。乗車券やら、泊まりの宿やらは全て友人に決めてもらった。
僕はただ漠然と夜行バスがいいな、と思った。他には何にも要求はなかった。

我々は知らないうちに年を取りつつある。
僕はそのことをたまに自覚する。それは、本当にごくたまにではあるにせよ、僕らは年齢を意識する。本当にあっというまに僕は年を取ったような気がする。でも現実的に自分がこれまでの人生で何を獲得してきたのだろうか、と思うと、良く分からなくなる。長い時間を掛けて僕は何かを築き上げてきたような気になる。でも、それはモノではない。
僕は僕自身を築き上げてきた。傲慢な言い方をすれば、僕は自分で育ってきた。今の僕は長い道の一番先端にいて、ふと後ろを振り向く。そして、過ぎ去っていった膨大な時間について思うとき、僕は少し不思議な気持ちになる。

我々はサングラスをかけたまま、目的地へと向かう。
僕は呆れるくらいにまっすぐな道を捉えながらハンドルを握り、車を走らせる。
我々の行く道を、その速度を、隔てる障害物は何もない真っ直ぐな道を走りながら、僕は心の中に空いた隙間に耳を傾ける。
僕はそこから聞こえる風音に耳を済ませる。

やがて、車はあるポイントを超えることになる。
それは平和な午後に潜む象徴としての、危険な一つのカーブである。
who knows? でも、目印のないカーブの入り口を誰に予想できるだろう。
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by waterkey | 2006-08-03 00:22 | 旅行記



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