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A day in nara ~奈良における一日のあり方~
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朝、僕らは早々にチェックアウトして、昨日と同じ鴨川付近のレンタカー屋で再びVitzをピックアップする。昨日より古い型だが、まぁ構わない。
そして、なんとなく思いつきで京都駅近くのレコード屋で、ローリングストーンズの新譜を購入する。この新譜は旅のテーマソングとして車のラジカセから何度も繰り返し流れることになる。

天気は申し分ない。天気予報は雨だったのだが、外れである。
しかし、昨日同様、こちらの空気はとても湿度が高く、汗が再び流れ落ちる。
いわずもがな、快晴である。

京都から奈良へ車で行くためのメインルートは国道24号線(京奈和自動車道)になる。
もちろん、24号で行く。国道24号は、その路はとても空いている。見渡す限りに真っ直ぐな道、青すぎる空と真っ白な白。イノセントな田園風景である。

行きの道は昨日同様、僕がハンドルを握ることにする。
僕はペットボトルのコカコーラを飲みながら、ミックジャガーの歌声をよそにその真っ直ぐな道をひた走る。何故か旅の少し前からコカコーラが手放せなくなってしまった。
最近コカコーラを飲む人を余り見かけなくなった。コンビニエンスストアには緑茶とミネラルウォーターがメインである。僕は迷わずコーラを選ぶ。
コカコーラという飲み物はもしかすると現代の飲料市場から少し置いてけぼりにされているのかもしれない。
味も殆ど変わらないみたいだし、あれほどCMを流しているわりには殆ど飲んでいる人を見かけなくなった。僕が子供の頃(小学校に上がるより前のことだ)、コーラを飲むと親にひどく怒られた。
『あんなもの飲んでいると歯が全部溶けて(今の所、まだ大丈夫のようだ)、馬鹿になってしまうよ(こちらは少し当たっているかも知れない)』と母親は言った。
そして、僕は隠れて飲む以外はコーラを殆ど口にすることが出来なかった。
大人になって、好きなものを好きなだけ飲めるようになると、どうしてだかは分からないのだがコーラに対する憧憬のようなものは消えてしまった。
また暫くしたら、まったく口にしなくなるかもしれない。でも、とにかく今はコーラを飲む。

閑話休題。

2時間ほど掛けて、東大寺にたどり着く。ここは酷く混んでいる。駐車場は満車ばかりだったし、路はどこも、通行人で溢れていて構内に入ると、ひやっとする場面が幾つかあった。誰もが走っている車の前を当たり前のように横切るし、関西方面のドライバーの運転感覚は―もちろん、良心的な運転者もいるのだろうが今回の旅では殆ど見かけなかった―とても荒い。
少し油断していると後方部からランクルか何かが、ぬっ、という感じで暴力的に割り込んでくる。
東京にも東京のトラブルが数多く存在するけれど、関西のドライバーの運転感覚というのもなかなかブルシットなものがある。
僕はいつも思うのだが、東京という街は西欧でもアメリカに似ている。そして、大阪付近の大都市というのは南ヨーロッパに似ている。たとえば、ローマ。これは街の風景や、空気感というより、むしろ文化的なものである。
東京の街を支配しているのは、わけのわからないカオスである。しかし、そのカオスには一応の“もっともらしさ”とでも言うべき、礼儀が存在している。その礼儀と無関心さは殆ど同じコインの裏と表であるわけなのだが。

関西。このあたりを支配しているのは何か別のものである。東京に比べると、少しヤッピーな雰囲気がある。もちろん、日本の都市部は皆どこか似通っている。でも、東京より関西で見かける人々の方が幾分、押し付けがましく、無遠慮で、バリアフリーである。そして、それは親切さとも似ていなくはない。遠慮のなさというものは、東京で暮らす人々がもっとも恐れることの一つである。あれだけ、多種多様の人々が集まる場所では人々は何処か遠慮がちになる。
そして、その遠慮は大抵の場合、長い時間経過を経て、関わりのなさに繋がる。

僕はどちらかといえば、関西の方に馴染みやすさを覚える。東京の“礼儀”については僕は様々な思いをしてきたし―現在進行形でしているわけだ―、それはどちらかと言えば、知的ですらあるわけなのだが、責任のバケツリレーをしているような気分になってくる。
誰も責任を取ろうとしない。その責任の擦り付け合いが、東京という街の抱える一つの大きな側面である。そして、僕はどのような意味合いにおいても、個人主義者なので、そうした組織的、集団的な暗黙の了解のようなものが、今もって理解できないところがある。

関西圏の人々は、その心の鍵をしっかりと閉じているようにさえ思える。皆が思うほどに彼らは無神経な人々ではない。東京で出会う関西の人々は―別にジェネラライズして比較文化論を語るわけではないのだが―ウエットである。でも、そのウエットさは僕の嫌いなタイプのwetではない。彼らのウェットさはどちらかといえば良性のものであるように僕は感じる。
民族的には寂しがり屋の民族ではないかと僕は思う。

やがて、どうにか空のある駐車場を見つけて、そこに止めることにする。
東大寺というのは、極論すれば、鹿のワンダーランドである。そこは見渡す限りに鹿で溢れている。鹿は放し飼いになっていて、人にとても慣れている。はじめのうちは可愛いな、と思って露天で買った鹿せんべいを与えていたが、段々その存在にうんざりとしてくる。
鹿、鹿、鹿である。一体こいつら、何なんだよ、と腹すら立ってくる。
後ろ手に隠した鹿せんべいを奪う奴までいる!僕の前を歩いていた女性なんて可愛そうにも手に持っていた何かのパンフレットを鹿に奪われたあげく、むちゃくちゃに噛みしだかれてしまっていた。紙を食べるのは、山羊だったと思うのだが。とにかく、東大寺は鹿で満ちている。
一匹をやり過ごしても、またすぐに似たような次のがやってくる。キリがないのだ。

僕は鹿には無関心を決め込んで、真っ直ぐ東大寺へと向かう。門を潜ると鹿は一匹もいなくなる。しかし、その代わり(というのもなんだけれど)観光客で溢れている。鹿の次は人である。
何人もの、人をすり抜けて漸く中へ入る。うんざりとしてくる。建物自体はとても立派なのだが。
『ヘィ、メーン(hey men!!)!』と強面の外国人に凄まれてしまう。どうも彼のカメラに僕が写りこんでいるらしい。これだけ、人がいれば写り込むのも仕方がないのだが。
彼らも鹿と人の多さに辟易しているのかもしれない。そう思うと同情する気持ちにもなる。
『エクスキューズ ミスター!(悪かったね!)』とかなんとか叫んで、そこから離れて、本堂へと向かう。やれやれ、ほとんど東京ディズニーランドみたいである。

We check out early, and pick up Vitz in yesterday and the rent-a-car shop in the same vicinity of Kamogawa in the morning. It reels and is not cared about though it is an old type from yesterday.
A new score of Rolling Stones is bought in the record shop in the vicinity of Kyoto Station.
The weather is not a fault. It is fine weather.

The main route to go from Kyoto to Nara by car is the 24th in national road line (Keicawa car
road).
Of course, it goes in No.24.
The road has become vacant very much. Straight road as far as the eye can reach, too blue
emptiness, and pure-white white. It is a pastoral landscape besides the window.

Similar and I will grip the steering wheel on the road of going yesterday.
I am the straight road Sou drinking the Coca-Cola of the PET bottle aloof from the singing voice of Miccjagar. The Coca-Cola cannot part with travel a little ahead why.
The person who drank the Coca-Cola was not so seen recently. Green tea and the mineral water are the main in the convenience store. I do not hesitate and choose cola.
The drink named the Coca-Cola puts from a modern beverage market a little and is in.
The person who was throwing CM so much as the taste hardly changed, too by drinking most comparatively was not seen. Parents were awfully angry that I drank cola in childhood (It was before it went up to the elementary school).
Mother said, 'All teeth melted when those kind of things were drunk (It seems to be still ..today.. safe), and became foolish (Here might be hit a little)'.
And, things except hiding and drinking were able hardly to say cola as for me.
The one like the yearning to cola has disappeared in when come to being able to drink by growing up, and the favor of the favorite one though it doesn't understand why.
Moreover, it is likely not to say at all if it does for a while. However, cola is drunk anyway now.


It spends for about two hours, and it reaches Todaiji Temple at last. Here was cruelly crowded. There were some cool scenes when only overcapacity the parking lot overflowed with the passer-by and it entered premises.
An empty somehow parking lot that is decided to be found, and to stop it there.
To tell the truth, Todaiji Temple is deer's wonderland. It overflows with the deer as far as the eye can reach.
The deer is pasturing, and it is very accustomed to the person. It comes gradually for the existence as cheesed though the deer rice cracker bought in open air without thinking be to at first lovely was given.
It is a deer, and is a deer, and a deer. Even the belly on earth gets angry when.
There is even a fellow who deprives of the deer rice cracker concealed in the hand in the back. It bites and it has been held in the hand after the pamphlet of something that has it being deprived by the deer walking in front of me as the woman is poor to excess. Though it thinks eating paper to be a goat. Anyway, Todaiji Temple has been filled with the deer.
There is no Kiri.

I head straight for Todaiji Temple in the deer assuming indifference. The deer is gone when ..gate.. diving by even one. However (Because what), it overflows with the tourist. Deer's next is a person.
Every person is printed, it comes off, and, at last, it enters the inside. It comes as cheesed. Though the building is very splendid.
It is threatened by the foreigner in 'Hei and Maine (hey men)' and strong respects. I seem very to reflect and to be crowded with his camera. The so much, though it cannot be helped to reflect and to crowd if there is a person.
'Ecscuzmistar (It was bad)' It managed to shout, it left there, and it faces the main temple. Well, most is Tokyo Disneyland.
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by waterkey | 2006-08-02 21:27 | 旅行記



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