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すれ違う
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僕は日常的に歩くことが好きなので、旅先でも歩き回ることは特に問題ない。
山の中のお寺だろうが急な階段だろうが、英語で言うところの
『it is a piece of cake(朝飯前)』である。
というより、本当のことを言えば、僕はくたくたになるまで歩き回ることを求めているようなところがある。体内の脂肪を燃焼させ、もうこれ以上は歩けない、というところまで体を疲労させることが好きだ。
ストイックといえば、ストイックだし、馬鹿といえば単なる馬鹿である。
それはそうと、とにかく歩くことが好きである。
週のうち、最低二回はリュックサックを背負って、20キロほどの道のりを散歩したりランニングしたりしている。
だから、体力にはそこそこ自信があった。もちろん、京都の仏閣を一日に3つや4つ歩き回るくらい、まさにピース オフ ケークだったわけだ。

僕は比叡山延暦寺に不思議な既視感を覚えながら、背の高い杉の樹に両脇を囲まれた道を、その勾配を登っていった。心の中に、解き放たれるような心地の良さを感じながら。
坂道を登り終えると一隅を照らそう、という縦石が僕を待ち受けていた。
その言葉を教えてくれた彼女と僕は何千キロも隔てて、今は暮らしている。
彼女は元気だろうか、と僕は思う。
物静かでとても繊細なところのある懐かしい友人について。
僕と彼女は、かつて良く二人でお酒を飲みに行った。そして、本当に色々な話をした。
僕は自分のことばかり話していたような気がする。熱心に。伝えたいことがたぶんあったのだろう。でも、それらは全て遠い日の記憶である。
あれから長い時間が流れていった。でも僕は彼女が秋になると良く着ていたセーターの色や、彼女の耳たぶの形や、たまに震えるようになる声や、その喋り方を良く覚えている。
滅多に笑わない彼女の、ふとした拍子に見せる微笑みや、それを目にした時の心の振動のようなものは、まだ失われていない。
僕はそんな風に誰かのことを懐かしむ種類の人間ではない。どちらかと言えば目線はいつも現在と、未来に置く様に努めている。
昼間の酒場で、小さな薄暗い店のカウンターで僕が彼女に語った未来の予感は殆ど外れてしまった。僕は笑うことも悲しむことも懐かしむことも出来ない感情を感じる。

一隅を照らそう、という言葉が延暦寺から来ていたということに妙な感慨を覚える。
そのような形の『再会』は人生に何度か訪れる。でもそれは全て遠い日々の話なのだ、ということが僕を少し感傷的にさせる。リアルな不在。不確かな記憶の断片。
そこでも、やはり何枚か写真を撮ることにする。そして、また寡黙に歩き出す。

気が向いて延暦寺の大きな鐘を打つ。鐘は静かな夕暮れの闇へと奇妙に心を打つような振動と共にボーン・ボーンとこだまを響かせる。祈りごとをしようと思ったけれど、やめた。
何を祈ればいいのか上手く考えることが出来なかったのだ。
鐘を鳴らした後、脇道をくだると本堂があった。この本堂だけは撮影が禁止されている。
中に入る。何人かの観光客が建物の中にいる。とても美しい中庭のその色彩感覚に心を奪われる。僕はその風景を見ながら、何百年か前に、歴史上の人物―高名な僧侶たち-が本当にかつてここにいたのだろう、と確信を持って感じることが出来る。
そこにも、やはり何らかの気配が残されている。
何百年という永遠に近い時間を隔てて、僕と彼らはすれ違う。また何百年か未来の人々はここで、あるいは僕の気配とすれ違うのかもしれない。そのような時間性は僕を少し混乱させる。
昨日と今日と明日がその境界を失い、くっついてゆく。時間によって隔てられている、感覚的な何かと何かが繋がってゆく。
僕はまたそこで、何かの影とすれ違っている。道、というものは常に誰かの後を歩み、誰かの前を歩むことでもある。そんな風に思う。
僕は大きな柱に施された金細工に触れてみる。掌にその造形を記憶させるように、何度か黙って撫でてみる。そして―少し迷ったあげく―その柱に額をつけてみる。僕は何かを感じながら本堂の廊下を一周して外に出る。うん、ここには何かがまだ残されている、と僕はまた思う。
しるし、のようなものを僕らは立ち去った場所に残してゆく。そして、長い時間を経て、それらは記憶として、ふとした拍子に僕らの前に顔を見せる。何かの象徴として、あるいは何かの影として。でも、そこから僕らは何を感じ取るべきなのだろうか?

本堂の向かいの長くて急な階段を上ると、そこにも建築物がある。誰もいない。
僕はそこに佇みながら、なぜか、ふいに東京のことを考える。
そこで営まれている僕の生活のことを思う。
あの街には何かが残されてゆくだろうか、と僕は思う。
蒼く澄み渡ったような涼しげな風が吹いている。まだ7月だというのに秋風のような涼しい風が額の汗を飛ばすように吹きかけてくる。僕は沈黙し、ふいに心奪われる。
僕らはすれ違い続ける。それが正しいことなのか、間違っていることなのか考える暇もないくらいに、慌しく、不器用に、あるいはスマートにすれ違う。
僕はそのことを不思議だと思う。

ここにいること。僕が語れることの出来る数少ない本当のことを僕は考える。
いま、ここにいること。そこには何か大切な思いのようなものが凝縮されている。
僕は何度も何度も考えてみる。それについて。
でも、僕には上手くそれを伝えることが出来ない。何かが不足している。
いつも大切な言葉だけが、失われている。
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by waterkey | 2006-07-31 02:18 | 旅行記



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