<a href=wata-chrome " />


<< 近くにある場所 | 円を跨いで、前に進むこと >>
京都へ。
a0041949_18524227.jpg






1.
朝、目が覚めると僕を乗せたバスは、知らぬ間に高速道路を下り、ゆるやかな速度で朝の光に満ちた市街を走っている。
まだ眠っている他の乗客を起こさないように、静かに体勢を変え、胸ポケットに仕舞い込んだ煙草に手を伸ばした。バスの中は禁煙であるということに思い至るまでに、少しばかり時間が掛かる。火をつけない煙草を口にくわえ、カーテンを少し捲ってみる。
体のあちこちが痛いのは無理な姿勢で眠っていたからで、格安の乗車券の値段を考えても僕はそれに対してつける不満は特にない。

いつもの目覚め。何処で目を醒ましても僕はまず自分の体と、眠りから徐々に目覚めて働き出そうとする脳みその連動を図る。なんどか実際に掌で握り拳を作って、それを開く。そしてまた閉じる。そのような、動作を繰り返す。単調な動作を繰り返すことで僕はある種の実感を得る。
僕は自分に話しかける。
オーケー。

僕はバスの中をそっと見渡す。大抵の乗客はまだ眠りの中で、何人かの(おそらく眠れなかったであろう人々だ)乗客は本を読んだり、ヘッドフォンを耳につっこんで音楽を聴いたりしている。
僕は薄っぺらい分断された眠りと、その代償である軽い吐き気を胸のあたりに感じる。
座席に転がっている飲みかけのペットボトルの中の液体を口に含む。
それは、静かに喉をすべり、僕の臓器を湿らせるように跡形もなく消えてゆく。
僕は昨夜見た夢の続きを考えてみる。
いつも見る夢だ。何度も見るのでそれは夢というよりは未完成の映画の1シーンのように思える。登場人物はいつも同じ。いつも同じ場所。色彩はモノクロームのコントラストの闇にばらばらに分断されて、どこかへと拡散している。
色のないそのシーンは、かつて実際に僕が行ったことのある場所。僕が言葉を交わしている人物もまた、僕のかつての知り合いだ。
朝の光の強さに額に汗がうっすらと滲む。夢を追い払うように、僕は再びペットボトルの中の生ぬるい液体を口に含む。

朝の光の強烈さに少しうんざりとしながら、京都にいる自分を不思議だと思う。

もし、あなたが旅なれた読者なら、いまさら京都に旅行もないだろうと言うかもしれない。
あるいは言わないかもしれない。
旅行という言葉が気に食わなければ、好きな言葉に置き換えてもらって構わない。

僕は旅行について、こう考えている。
旅行とは、もしかしたら、(いつもとは違う場所で)何かを得て、何かを置いてくる作業なのかもしれない。
何を得るのか、大抵の旅行者は知らない。また何を得たいと決めてみたところで、必ずしもそれは得られるものではない。ただ一つ分かっていること。僕らは何かを得るとき、変わりの何かをそこに置いてくる。何を置いてくるのかについては少しは僕にも語れるのかもしれない。

僕は、旅行というものは移動距離の長短や、移動時間の長短により、定められるものではないと考えている。外国旅行には何かがあって、国内旅行には何もない、とも思わない。
僕は純粋に、旅行とは何かを置いてくるかわりに何かを得てくるようなもの、と考えていて、また、そのような実感を求めて、色々な場所をこれまでにも彷徨ってきた。

僕は古い映画の1シーンのような夢に登場する人物を知っている。
僕は現実世界では、もう二度とその人物に出会うことがないことも良く知っている。
その夢が僕に語りかけている意味も僕は分かっている。

京都駅に着く少し前、僕は隣で眠る友人に声を掛ける。
『朝だよ』
[PR]
by waterkey | 2006-07-18 19:22 | 旅行記



Creative Commons License
This weblog is licensed under a Creative Commons License.