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円を跨いで、前に進むこと
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いま、僕らを守っているもの。
僕らの存在を規定している何かから、敢えて自由になろうとすることはもしかしたら何よりも僕らを鍛えてくれる感覚なのかもしれないと、今回の旅を通じて僕は考えていた。
例えば地面に、手に持った一本の縄を使って、自分の足元を囲む一つの円にしてみる。
それを跨ぐ事の難しさについて僕は考えてみる。
なにゆえに、それが僕らに安定をもたらし、そこを跨いで歩き出すことを大変なこととしているのかについて僕は慎重に考えてみる。

僕らは何処かへ行けるのだろうか?それが今回の旅のテーマだ。
現実と僕らをアダプトしているものについて、僕らは拘りすぎてはいないだろうか?
内側にいて、その円の中のルールに知らず知らず縛られていないだろうか?
足元を囲んだ一本の縄は果たして、どれほど僕らを守ってくれるのだろうか?

強靭な無意識的意識。
ある一つのことを僕が考えた時、それは初め、とてつもなく大変なことのように思えた。
僕の足元には、かつて縄で描かれた円など何処にもなかったというのに。
その足元の円を、自分を外的から守る強靭な壁として知覚してきた歳月は僕に一体何をもたらしたのだろうと、僕は考え続けなければならなかった。

僕はその足元の縄を長い間、何かと置き換えることの出来ない重要な自分を守る壁として、謝った判断を下し続けてきたのかもしれないと、仮定してみた。

年を取るということは半端なことではない、とある時を境に思うようになった。
年を取るということは、変化を求められるということでもある。
初期衝動で、延々と走り続けることなど出来ないと、僕らは人生のある段階で悟る。
そして、既に見失ってしまった初期衝動の後で、走る速度をふいに遅め、僕らはいままで走ってきた道のりをふと振り返る。

足元には一本の縄で描かれた円がある。
そこから外に飛び出るという選択肢を、長い間、意識的に忘れようとしてきたことを知る。
それは一人の個人に戻ることの怖さから来ている。

旅を続けていて思ったのは、僕らを絶えず移動させる“何か”は思い付きなどではないということだった。
僕は旅の道連れである友人に何度も“欲望”という言葉を口にし続けた。

欲望、その言葉について、その言葉が持つ概念について、僕らは余りにも多くを知らなすぎる。

足元の円に関する絶対的な信頼感が薄れたとき、僕は初めて個人に戻り、世界の果てしない広さにただあっけに取られる。
円を跨いで、前に進むこと。それがこの章におけるテーマである。
by waterkey | 2006-07-17 23:38 | 旅行記



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